内容:知見と事例

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    2020.10
    メンバーK【ブラック企業と私 Vol.1】

Introduction

私はこの度めでたく人生で5社目のブラック企業に入社することになりました。
それも、黒光りしているほどのブラック、その名もHYAKUNEN。

社長は今日も眠れないと言っているし、この間のミーティングは私の就寝時間を回ってもやっていたので、くらくらしてしまって先に失礼してしまった。
暑い暑いといって今日も社長は事務所で上半身裸になるし、どういうことだ。
やろうとしていた仕事の直前に、新たな指令があったり。
え、そんなこと私に出来るかな、とヘラヘラしていると仕事は積み重なっていく。
子供が生まれたらその子はこの会社に入れる、この会社の採用活動は細胞分裂だから!という謎のハラスメント???まで。
ついこの間壁に貼られた上野さんのTodo リストは、時間がおかしい。
本当に4時なのだろうか。14時ではなく…。
もはや朝なのか夜なのか分からない。
多分そんな感覚はなくなっているんじゃないだろうか。
ブラックだ。

でも、HYAKUNENのブラックは少し変わっている。
よく光っているのだ。なので眩しくてよく見えない。

どこかでこの光り方のブラック見たことがある気がするな…。

ふと気付いた。大学の時の部活だ。
私は軽音楽部に入っていた。
日本一のビッグバンドを目指すむちゃくちゃストイックな人たちと適当にやり過ごしている人たちがいて、私はもちろん適当にやり過ごす側だった。
適度に音楽を楽しんで、バンド活動を楽しんで、ちゃんと卒業して。
真剣になりきれないのを誤魔化して、学生だしまぁ楽しいからいいかと笑っていた。

写真好きな部員が、引退の時に今までの写真を集めたDVDを配ってくれた。
見ると、ストイックなメンバーがすごい輝きだった。
もうキラキラしていて見ていられない。
「人間って好きなことやってる時、こんなにいい表情になるんやなぁ。」
隣で見ていた母親もポツリとこぼしたくらいだ。
多分あの発言の対象に私は1ミリたりとも入っていなかった。

部活のせいで単位落としたり、え?何回生?みたいな先輩。
夜な夜な会議をして、部室で仮眠をいつもとっている人。
そもそも普通のコミュニケーションがうまく取れない人。
その人達がむちゃくちゃに、もうそれはむちゃくちゃに練習しまくって、
音楽でしか表現できないことをステージで表現している姿。
それはもう見事だった。

絶妙な器用さで、なんとなく求められることを理解して、ネジを取ることが上手く出来ずそこそこで納得し、過度に自分を追い込むことなく生きてきた私には、その黒光りしている輝きはないし、目指せないと思って、少し羨ましかった。
何かが犠牲になってもこれをするんだ、これしかないんだ、という人独特の黒光りをしていた。
個がちゃんとあるんだけれど、でも、個をぎりぎりのところまで投げ打ってるというか。
そうしてまでも成し得たいものがある人達が放つピッカピカの黒光り。
それと同じような光をHYAKUNENは放っているように見える…。

それにしてもどうしてこんなにも私はブラックからブラックへと移動してしまうのか。
毎回悩んでしまう。
でもまた入ってしまった。沼なのか。

そんな私に、「ブラック企業について、ブログ書いてみない?」と前山。
来た。思いつきで振り回されるやつだ。
「いいですよ~。」
沼にはまっている私は即答した。
だいたい前山はいつも私のブラック歴をおちょくって楽しんでいるふしがある。
他人の不幸は蜜の味なんだろうなと思う。
それでいて、HYAKUNENの黒光りを自慢していたりする。
不思議だ。

まぁ、私の経験を少しでもおかしがってくれたり、ちょっとでもグレーな企業がびびってくれたり、なんとなく私にどんまい!と思ってくれる人がいればそれでいいや。

ブラックとはそもそもどういう定義なのかよく知らないが、どれだけオブラートに包んで友人に仕事の相談をしたり悩みを言ったところで、「え?そんなに入るところ入るところおかしくなくても良いんじゃない?」
と結構言われてきた。
人様から見れば特にブラックじゃないことだってあるだろうし、ただの甘ちゃんな意見を言っているように見えるかも知れないけれど、それはそれで仕方がない。
なんたって私の今年の目標は「気にしない」なのだ。

そんなブラックの沼にはまった私の経歴を振り返ってみようと思う。

はじめてのブラック企業-はじめての研修-

大学を卒業して、ほんわかしている企業に入った。
リーマンショック後の就活というのもあったけれども、そもそも就活生となった時に就活生らしくあることがなんだか嫌で嫌で全くうまく振る舞えず、結果ほんわかしている家族経営の中小企業が拾ってくれた。
面白いものを作っているメーカーであったし、社員数も30名ほどで面白い部長もいたし、今も仲良くしている先輩にだってそこで出会えた。

そう、先に言っておきたいが、私は今までの経歴を卑下するつもりもなく、その時はその時で良かったと思っているので、いつまでも恨みは持っていない。どの企業に対しても。HYAKUNENに対しても。

それに人間ってやっぱりすごいよく出来ているので、嫌すぎる思い出は忘れていく。
どの企業の思い出も。HYAKUNENはこれからそう処理される…のかも知れない。ですね。前山さん。

話を戻して。
一社目のブラックぶりはまず新入社員研修から発揮された。
謎の体育会系の研修。大声を出すわ、大声で叱られるわ。
なんかこれ、ニュースで見たことあるやつぅと思いながら一週間やり過ごした。
研修が終わってからも、課題が山盛りあり、宇宙についてとか、謎のテーマで作文を作らされた。

あれは何だったんだろう。
新卒は使えないという大前提で、教え込んだ通りに動け!という教育。
その研修で燃える真面目な受講生もいたから、ひえぇーと思ったけれど、あそこまでする必要は全くないとずっと思っていた。

欲しい知識や身に付けたい行動は、好きな人や尊敬する人から一番盗めるし、それは別に研修でなくても自分が受け入れやすい本なんかでも十分だと思う。
私はずっと松浦弥太郎と吉本ばななを先生としている。

でもやっぱり研修を終えて戻ってきた会社で求められる第一発目は、「大声での元気な挨拶」だった。

挨拶は大切だけれども、あのがなり声での挨拶ほど、朝を嫌にさせるものはないと思う。というか、その大声での元気な挨拶を聞いてニコニコしている経営者を心底嫌いになった。

研修の成果がそれで本当にいいの?

という疑問は社会人らしくきちんと胸にしまい、面白くて仲の良い部長にだけそういった愚痴は影で言っていた。

はじめてのブラック企業-社長の趣味に付き合わされる-

初めて働いたこの会社で、私は営業をしていた。この営業部がいつだって波乱万丈だった。

もともとこの会社での大きな売上は教育機関に卸す商材にあった。ここが第一営業。
そして社長が趣味程度というか、謎の友人に誘われて何かの対策程度につくった第二営業は東南アジアから輸入した生活用品の卸販売をしていた。

私はこの趣味程度の方の第二営業に入った。
新卒での配属は私だけ。
先輩からは初日から「それでKさんはいつまでいるつもりなん?」と言われる始末。
「え?」と思っていたら、その先輩が辞めて、謎の組織変更で島流しで入ってきていた人も辞めて、なんと一年目から第二営業は私一人になってしまっていた。
もともと5人はいたところを、だ。
営業先は日本全国。
当時の専務は、「とにかく現場へ行け!」
周りの人達も「ランチェスターだ!」
そんな風に言っていたけれど、あれは本当に意味を理解して言っていたのだろうか…。
闘うのは私一人だし、武器も圧倒的に不利だったけれども…。

とはいえ、現場は大切なので、全国津々浦々と移動しながら、とにかく忙しくて考える暇はない日々をそこで過ごした。
ふと立ち止まると3年くらいたっていた。

別に一人で営業で色々なところに行くのが嫌になったわけではなくて。
何が一番嫌になったのかというと、売上をつくっても、商品の改善や新商品の投入は全くなかったこと。在庫処分の繰り返しに、耐えられなくなってきたこと。
社長からしたら趣味程度の第二営業なのだから、そりゃそうもなるか、と今は思うし、だから何も分からず黙って働きそうな新卒の私に営業をさせていたのかも知れないけれど。
そのイライラがどんどん積み重なってきた。
その全てを知りながらお客さんと、次はこんな商品欲しいですよねぇ、こうゆう展開したいですよねぇ、なんて言っている自分が嘘にまみれているみたいで、どんどん疲弊してきた。

この第二営業は私が去った三年後くらいに完全になくなった。

思いつきで作った部署、続けていく意思がない部署に社員を配置する、
というのはどれだけひどい行為なんだろうと思う。

2コ目のブラック企業-憧れという闇-

めでたく2コ目のブラック企業に入った。
前職で生活用品の卸をしていたので、店舗周りの営業をしていた。

その時に気になっていた雑貨屋さんの販売員をすることになった。

最初の勤務地は自宅から通勤しやすいところだった。ところが新しい店舗が田舎のはずれに出来てしまい、私はそこへ飛ばされた。

そこからが大変だった。
電車で1時間半、バスで30分ほどの立地。
始発での出勤
終電での帰宅

身体を壊す店長、膀胱炎になるギャルスタッフ、絶対に体に良くない食事を変な時間帯に流し込んで、大型連休はもちろん、年末年始も関係なくて、みんなボロボロだった。

本部からたまに店舗へちゃちゃをいれてくるマネージャー達もものすごいストレスフルな人達ばかりだった。
スタッフが綺麗にしたところを平気で汚したり、お客さんがいるのにも関わらずフロアで大声でお喋りして大爆笑したりしていた。

もともと営業していたということもあったし、頑張って店舗でやっていれば、本部へ行ける可能性があるかもしれない。
面談ではそういう話を聞いてくれていたけれど、来る日も来る日も、私は店舗のスタッフだった。

お給料は1社目と比べると悪くなくて、接客はもちろん楽しくて、お客様にご指名を頂いたり、様々な相談に乗ったりしたけれど、だからといって、私の日々が変えられるきっかけはどこにもありそうになかった。

ステップアップしている人たちを見ても、私には仲良くなれそうにない人たちだな、と感じた。
周りを下げてでも自分が登れれば良い勝気さや強さをまとっていた。

大学の友人がアパレルに就職して店舗で働いていたけれど、キャッシャー台の足元では、常に足の蹴り合いがあったらしい。怖すぎる…。

そうして、引き上げてくれそうな人を必死で探したけれど、店長も店長止まりだったしそれで行き詰っていた。
やっぱり上り詰めるにはもっとアピールしないといけないし、何かでどんっと勝たなければならない。
周りを下げることだって必要であればしなければいけない。

全国に店舗があり、スタッフ数も多いのだから、そりゃあ入社する前にもう少し冷静に判断をしたら良かったのだけれど。
接客は負けないだろうしそれで上に登ろうなんて、夢を見ていてしまったんだと思う。

1社目で少し営業のプライドみたいなのが出来ていて、それはあっけなくこの2社目でなくなった。

接客はいつも褒められていたし、辞める時も店長には接客業を辞めるのは本当に惜しいみたいなことを言われたし、実際に憧れを持ちつづけて働き続ける選択をしているスタッフもいたけれど、どうにもこうにもならなそうだ。ここには私の道はないと思ったし、高望みをしたのだと思った。

もっと地を這うような営業に戻っても、そもそも私はあまり出来ることがないのだから仕方がないとその時思った。

また新しいブラック企業と出会うことになるなんて知らずに…。

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