内容:知見と事例

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    2020.10
    メンバーK【ブラック企業と私 Vol. 2】

3コ目のブラック企業-とにかく人が辞める-

とうとう、履歴書が黒くなってきた。
恥ずかしいと思うようになってきた。
今度働けるところでは、長く勤めなければ…。
周りと比べてそう考えるようになった。
でも、またしても沼にはまっていた。

今なら簡単に気付けるブラックさにその時は気が付かなかった。
どうも私は1社目でゴリゴリに働いていたことに自信があるらしく、タフさでなんとかなるとだいたいにして思ってしまうらしい。

そして、迎えた3社目の初日。
面接で私のことを気に入ってくれたおじさんがいない。
あれ?なんでだろう?そう思って周りに聞くと、私が入る前に辞めたとのことだった。

なので私は完全アウェーで営業チームに入り、あいつ誰が採用した奴だよ?どうするんだよ?という反応を受けながら、そのまま一カ月ほど放置されていた。

おやおや?と思ったけれど、敵をつくらないように、出来ることをとりあえずやっておく、なんとなく出来ることを広げていく、休める時に休んでおく、そうしていると、なんとかなると体で学んでいたので、こうゆう状況でもいきなりワーワーは言わずに、出来ることをして、いつもピタッと終業時間に帰っていた。
その後ボロボロと人員がいなくなっちゃうとは知らずに。

私が出来る作業を教えてくれた親切な先輩も、辞めちゃうからあんなに親切だったなんて気付かなかった。
本当にこの人はいい人だなぁと楽観的に思っていた…。
浅はかだった…。

そんなこんなで少し人が辞めた時に、仕事がどーんと私の前に積まれ、役職についたおじさんの隣の席になった。

そのおじさんの業務が少しずつ私に移行された。
役職についているのに、とんでもない顧客数を抱えていたからだ。
ひきが強いねぇ、みたいな感じで周りから失笑を買うキャラクターになった。

仕事はないよりあった方がいい。
特にすることが分からないうちはそうだと思う。
なので、この時は少し人員が減ってもその分私に仕事が来るので、あまり気にしていなかった。

その後もどんどん人が辞めていき、入社して一年経った時点であるエリアのリーダーになっていた。
この時点でも嫌なことはたんまりあったけれど、まぁちょっとした肩書があれば転職した時も有利かな、何事も経験だよな、と思い耐えていた。
そこから私は長期戦でずっと血を流すことになるし、仲間が血を流す姿も見せつけられるようになる…。

3コ目のブラック企業-人の評価が毎日変わる-

3社目のブラック企業にいる時は、私も若かったから、人が辞めても、自分は毎日大忙しで何も思っていなかった。
というか、部下が辞めるならまだしも、先輩がゴロゴロ辞めたり、まさかの部長が逃げるように辞めたりだったので、何も思いはしなかった。

ここの営業部は、なんというか、新規を攻めるというのは弱いな。同じルーチンを繰り返すみたいな営業初心者の人が多いなと入社した時から思っていたから、辞めていっても「まぁ、そうだよな。」と冷めた目で見ている部分だってあった。改めて、私の性格は良くないなぁと思う。

ただ、そんな中でも私の業務に絶望的な悪影響を及ぼしたのは、辞めた人の悪口を怒鳴りちらす社長。
そして辞める直前の人への心ない態度だった。
いつだって辞める直前の人達は、重箱の隅をつつかれていた。
あれだけは本当にいつ卵を投げつけてやろうかと思ってばかりいた。

社長が「あいつはこうだ、こんなことをやっていた。そんな奴いるか?」といくら大声で叫んでいても、私は知っていた。
先輩達は、皆目指せるような営業が社内の何処にもなくて、どういう営業がいいのかなんて考える余裕もない中で、迷いながら、皆出来る限りで頑張っていたし、皆お客さんを大切にしている気持ちは伝わっていた。
社長以上にお客さんを大切にしている人達ばかりだった。
社長みたいにお客さんを数字として捉えたり、それだけで判断するような人達ではなかった。

実際、売り言葉に買い言葉を言うようになって腐っていった先輩もいたし、すごい勢いで会社や上層部の大悪口大会の飲み会に付き合わされたこともあったけれど、でも、お客さんと電話をしたり、商談をしている姿を見ると、泥にまみれながらでも、良い商品を届けようとしている姿が垣間見れた。

どうしてそこが上の人達は見れないんだろう。
人が一生懸命になっている姿はいつだって綺麗で、見落とすなんてこと出来ないはずなのに。
なんで、見ないんだろう…。

そして、この罵倒の反動で起こる社長の可愛がりも、いつだって感情が無になった。
良く分からない周期で謎の褒められ方を順繰りで皆受けていた。

いつだってそれは本人が褒められたいところじゃないところで褒められた。
それ以上にこっちを頑張っていたんだけどな、という事もあったし、それ、かれこれ何年もやってきたことで最近疎かになっていたことなのに今褒める?みたいなものもあった。

社長に褒められても怒られても、もはや何の感情もなかった。
ただただ、皆の前で吊るし上げられたくないと思っていたし、吊るしあげられた仲間を見ては、いつ社長に卵を投げつけようかと思っていた。
特に直属の後輩に対しては、頑張っている姿を褒められても怒られても、私の心臓はくっとなって、あれは相当私の寿命を短くしたと思う。

人の評価ってそんなにコロコロ変わるものなんだろうか。
従業員を駒と思っているとしか感じられなかった。
だから愛情も持たずに自分の気分で適当に怒ったり褒めたり出来る。
その人のことをちゃんと見もせずに怒ったり褒めたりするだけで、業績が良くなるなんてことはありえない。
みんな辞めるという選択肢しか見えなくなると思う。

営業のメンバーもお客さんも好きだし、仕事内容も好きなのに…。
辞めていった人の愚痴も、私の愚痴もだいたいいつだってそこでぐるぐる空回りしていた。

3コ目のブラック企業-聖徳太子じゃないんやから-

「聖徳太子じゃないんやから…」この一言に私は顔面パンチをくらっていた。

私がある程度のエリアを統括するリーダーになった時に、人員が足りないだろうと、2人のおじさんが私の担当エリアに放りこまれた。
担当エリアは海外なので英語は必須だ。
人事に念のため聞くと、前職で英語は使っていたから大丈夫だと言う。

再雇用のおじさん達だった。
私はその時人が足りなくて困っているということは上に言っていなかったし、もちろん面接もしていない。
顧客とのスケジュールをすりあわせて、少人数で回せるようにという計画をむしろ考えていたくらいだった。

おじさん達は、少し前に入社し別の部署でお仕事をして、あまりにも指示通り動いてくれず管理出来なくなったから私のところに放り込まれた。
しかもその2人の仲が悪いときた。
その時点でカオスだった。
始まりから残務処理感が漂っていた。

おじさん達は、のらりくらり仕事をやって給料をもらえればいい人達だった。
最初のうちは、適当に仕事を振っていた。
どれほど煙草休憩に行っていても私は何も言わなかったし、
いきなり2人で勝手にぷんすか怒っていても、私が謝れば済む時は謝っていた。
そして全くスピード感なく、のらりくらりと
「Mr.◎◎へ、今日はメール1通送りました!」と報告して帰るような感じだった。
こちらは何十通もやりとりをして何十件も電話を掛けてその間に何度もSNSでやりとりをしているのに。

「いないよりはマシでしょ。」
俺が入れてやった、お前にヘルプをあげてやっている、そういう体で社長からは言われた。

「いない方がマシです。」
という言葉はぐっと飲んだ。

この時の私の愚痴の量は半端なかったと思う。
どこの飲み会でも、もう無理もう無理と言っていた。
そうこうしているうちに、「もっと仕事量を渡したらどうや。もっと頼って仕事をさせろ。」という指示が上から降って来た。

それのお膳立てと尻拭いは誰がしてくれるのか。
解読が難しい英語の文章をメールで毎日1通出している人たちにこれ以上何をさせたらいいのか。
もう私はこれ以上考えるのが嫌になって、言われた通りに結構な量の仕事をおじさん達に割り振った。

それでもおじさん達は自分たちののらりくらりを死守した。
あれはすごいと思う。立派な企業戦士だった。

「今日はあそことここへ連絡して、これをしてあれもやって、あとこれ昨日連絡来ていたので、これもお願いしますね。」と私が言うと、「まぁまぁまぁ、そんなにいっぺんには出来ひんわな。聖徳太子じゃないんやから。」そう答えておじさんAはまた煙草を吸いに席を立った。

「今日まだあそこに連絡取れてないんですか?もっかいここに電話してもらえませんか?あとダメ元でここも連絡お願いします。」と私が言うと、「そんなにたくさんのこと言って。俺の電子辞書電池がなくなったから今から買いに行かなあかん!」とおじさんBはなぜかくらいついてきた。
「電子辞書の電池がないことなんて、分かってたんやったら先に買ってこればよかったじゃないですか。ついさっきお昼休憩ありましたよね。」言い返した私が悪かった。
その後すごい悲鳴を上げておじさんBはぷんすかしてしまった。

それでも3日で終わる商談をお膳立てしてはおじさん達に投げて、それが2週間以上かかっても商談が決まれば喜ぶ、みたいなことをしていた。
そんな日々が続いた。
自分の業務は全て後回しだったから、残業も多かった。

そして残業していると、「早く帰れよ。」と言われた。
「おじさん達の仕事をつくった後に自分の仕事をしているから無理です。」
とこの時も私は言い返せなかった。
早朝から働いていると、「朝の出勤は必ず9時にするように。それ以前には来ないように。」と怒られた。

とにかく爆音で音楽を聴いて自分が空っぽになることばかり考えていた。

こちらがお膳立てしていても、コケる時はコケる。
月末になると、自分も無理やり売上を立て切らないといけないので必死だ。

何カ月かした後、電子辞書事件のおじさんBが辞めた。

その後何カ月かした後、煙草休憩ばかりのおじさんは、私が無理になってしまって、休憩しかしていないと上に報告した。
そうすると、「俺が解決してやるから。」と言って少しも解決されぬまま、それでも社長の圧を感じたおじさんAは、煙草休憩を減らすことなく辞めていった。

「お前がいらんって言って辞めさせたんやんか。」その後の飲み会で社長が言っていた言葉だ。

いいなぁ、何でも人のせいに出来る人は、と思う。
残業すんなよ、と言うだけ言って、俺は優しいと思える人はいいなぁと思う。

個人の抱える業務量や内容、その周りのことを分かりながら一緒に仕事が出来る人なんてこの世にはいないんだろうなぁ…。
そう思うようになった。

言い返しても無駄だから無駄に反論はしない、社長には話をしない、という癖がこの頃から抜けなくなってしまい、それがエスカレートしていった。
とうとう、この3つ目のブラック企業でも私は音を上げて退散することにした。

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