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    2020.12
    2020 Year End Special Blog 【コロナ禍で考えたこと Vol.3】 赦すこと。

2020 Year End Special Blog
【コロナ禍で考えたこと Vol.3】赦すこと。

裏切られた経営者

春、桜が美しい花びらを落とし、その姿をゆっくりと緑に変えようとし始めたころ、僕は一人の経営者の支援をすることになった。
知り合いから、「友人がどうにも困っているのでちょっとサポートをお願いしたい」との連絡が発端だった。

その人は、70歳くらいの男性で、夫婦で外食業を行っていた。創業30年を超える居酒屋と、焼き肉店など複数の業態を運営していた。

ご存じのように、コロナ禍で外食業は壊滅的な打撃を受けていた。
昨年まではインバウンドで業績が右肩上がりで好調。身の丈にあわない巨額の借り入れをして、積極的な事業展開を行ってきたのだが、コロナで一転してしまった。

コロナによる売上減と多額の負債

傍目にみて、ちょっと厳しいなという内容だった。

お金は払えないかもしれないけれど、相談にのってもらってくれないか。
そういわれていた僕は、オーナーに会い、何かできることがあればと支援をはじめた。

支援を始めてすぐ、僕は、管理担当の常務取締役が所在不明になり、連絡が取れない状況にあることをオーナーの奥さんから聞かされた。

オーナーに聞いてみると、
常務は25年程度の付き合いで、苦楽をともにしてきた仲であること。
基本的に経営管理は常務に任せ、たたき上げの自分は店の開発や運営を中心に会社を回していたこと。
近年の大きな借り入れと設備投資は、常務の案であり、彼が直接推進していたものである、とのことだった。

4月2週目あたりから連絡がなく、携帯にかけても電話に出ない状況であり、オーナーはとても心配していた。コロナでピンチのときに、戦友である同志が不在なのだから、オーナーの動揺は明らかだった。

オーナーは、僕に「常務は、会社やオーナーである自分に借金を背負わせてしまったと、気にしているのではないか。多額の借り入れを推奨し実施したものの、コロナで借金しか残らない状況になり、その責任を感じて、いなくなってしまったのではないか・・・」と言った。


心配している、と。


僕より30歳近く年上のオーナーは、白くなった眉毛を触りながら、寂しそうに、心細そうに言った。

そのときは、オーナーも僕も、のちに一千数百万円の使途不明金が発覚し、常務がその首謀者だなんて、思いもよらなかった。

怒りと恨み

事実が明らかになったことを僕はオーナーの奥さんから電話できくことになった。
小さな外食業だから、事務部門なんてろくに整理されていなくて普通。普段は常務の下に女性のスタッフが一人いて、給与の支払いや社会保険、経理処理などをおこなっているだけだった。そんな体制だから、お金の詳細な流れは、オーナーも把握せず、常務に任せきりになっていた。

「あいつは信頼できるから」

そういう信頼関係の中で、怪しいお金の動きが見過ごされていた。

オーナーの落胆は相当なものだった。
言葉にもならない怒り。

20年以上、苦楽をともにしてきた同志と思っていた人に裏切られていたのだから当然だ。コロナ禍で、窮地に立たされている今、すべてを放って逃げ出しているのだから当然だ。

残ったのは、面倒をみなければならない社員と、人の入らない店と、多額の負債だった。

オーナーの脇が甘いとか、人を見る目がないとか、いろいろと思うところがないわけではない。けれど、僕も経営者の端くれとして、やっぱり一緒に働く人は仲間だと想いたいし、信頼したい。

苦しみを分けもってほしい、と思う自分がいる。
そう思うのは、経営者として甘いのだろうか。経営者として弱いのだろうか。

色々な想いが重なって、僕はオーナーと喫茶店で向き合っても、ただ黙っているしかできなかった。


オーナーから、連絡が来たのは、それからしばらくしてからで、
跡取りもいないし、高齢であること。不動産等の収益や資産を含めるとなんとか辻褄も合いそうなこと、そんなことを二人で語って、結局、事業をたたむことにしたのだった。

オーナーと話すとき、彼も僕も、常務の話をすることはなかった。

赦すこと。未来へと跳躍すること。

裏切るとか、裏切られるとか、そういったことはどこまでも主観的なものだ。
大きな裏切りもあれば、小さな約束を破るようなこともあるだろう。

人は誰しも、裏切ったり、裏切られたりしていると思う。

裏切りと、そこから無尽蔵に湧き出す、憎しみ。

僕も、苦しむ経営者の人に、涙を流しながら助けて欲しいと文字通り懇願され、必死に支援して、成果を出したにも関わらず、結構な金額の報酬を踏み倒されたことがある。涙を流した社長からは、連絡も誠意ある対応もなかったっけ。

会社を立ち上げた時に、面倒をずっとみてきた仲間に、裏切られたこともある。彼は元気にしているのだろうか。

「困っているんです。雇ってください」。そう言ってきた人を採用したら、音信不通になって、そのまま退職していった人もいる。あとから分かったが、もうずっと前に住民票も移していたようだ。給料は払い続けていたのだけれど・・・。

もちろん、これは僕の方からみた見解であり、相手や他者がいる話だから、いろいろな見方があるだろう。
僕自身にも大きな手ぬかりや落ち度、反省すべき点があると思う。


けれど、やっぱり、精神的には厳しい出来事だった。

あんなに頑張ったのに
あれだけ助けてやったのに
あれほど面倒をみたのに

礼の一つも言わずに、去れるのか、と。

目の前の事態に「裏切り」というラベルを貼り、僕は大いに傷つき、そして、腹の底から無尽蔵に湧き出る「怒り」を抑えることができなかった。

復讐してやろう
被害届を出そう
訴えて、苦しめてやろう

なんだか、そんな物騒なことを考えたりしたこともある。

けれど、その時、僕は頑張って頑張って、自分の規範に従うことにしている。
それは、一手損すること。
格好よくいうと「赦すこと」だ。


哲学者のハンナ・アーレントは、再起には「赦す」ことが必要であると言っている。
それは再起、再開への「可能性への賭け」なのだそうだ。

「恨み」や「復讐」ではなく、「赦し」が、再開・再起への賭けとなるのは一体どういうことか?

恨みを抱え、復讐の念にとらわれるとき、私たちは、いつも過去をみている。
過去を払拭するため、あるいは落とし前をつけるためという建前のもとで、過去にとらわれた行動をとる。

恨みとそれによる復讐とは、過去の出来事に今の自分や未来の自分が拘束されることなのだ。だから、恨みを抱え、あるいは復讐に生きるとき、私たちは「今に居ながら、過去を生きる」ことになる。

アーレントは、だからこそ、過去を赦すことが未来への跳躍になる、と言っている。

過去は消せない。そうしたくても無くならない。
当たり前だ。

失敗と成功
裏切られたり、知らぬ間に自分も多くのモノを裏切って生きている日常
弱く、汚く、怒りに震え、恨みに溺れる自分
どうにもならない傷が、心の奥にある

その泥沼から抜け出し、変化するには、赦しが必要だ。
過去の呪縛から解き放たれて、一瞬先の未来へと跳躍するには、他者を赦すこと。過ちを犯し、人を傷つけ、あるいは、人を恨む怒りに震えた自分自身でさえも、赦すこと。

交換関係が支配するビジネスという場で、
生き馬の目を抜く企業の変革や再生の現場で、
恐れずに損をして、赦すこと。

それはサーカスの離れ技みたいで手に汗をかくけれど、それこそが、再起であり、再開だ。過去をただ認め、赦し、手を離すこと。
ブランコからブランコへ乗り移るように、空中で全身をいっぱいに伸ばし、未来へと飛躍すること。


オーナーは常務のことを語らなかった。
頼んだコーヒーがもうすっかり冷めて、周りの客も少なくなっていく喫茶店でどれだけ話しても、彼はそのことを決して口にはしなかった。

オーナーは、たくさんのものを喪って、傷をかかえて、
そして、きっと、素晴らしい未来へと跳躍したんだと思う。


その手はきっと、次のブランコに届くはず。


すくなくとも、僕はそう信じている。

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